電脳世界の刑法学 園田寿

掲載日:2005年3月25日
タイトル:法科大学院がスタートして 人は、願望をこめて社会を見る。だが、その願望を実現する機会・方法は、必ずしも万人平等ではないから、摩擦の生まれる隙間もできる。日常意識することがまずない、権利や義務のことを考えるのは、たいていそんなときである。  社会がますます複雑になり、価値観もいっそう多様化してくると、無数の社会的ルールのうちで、法こそが無用の摩擦を避ける、あるいは生じた摩擦を冷やす最後の調整原理とならざるをえなくなる。法を解釈し、公平に運用する法曹に対する社会の期待、それに応えるべき法曹の責任も必然的に大きくなっていく。そして、その責任は、何よりも法曹倫理に支えられてこそ、十分に果たされるものだと思う。  およそ職業として法に関係する者は、その法によって自らをも律する能力を有する。とくに法曹は、法曹としての職業過程で、つねに心の中にある法という鏡に自己を映して、自らを自分自身によって裁くのである。社会が法曹に期待するのは、このような厳しい職業倫理の実践である。

 法科大学院は、法学教育についての百年に一度の大改革だ。法科大学院で法を学ぶのは、個人対個人、個人対社会の緊張を制御するためではあるが、自らを裁く規範を修得するためでもある。法科大学院が成功するかどうかは、自らを厳しく裁くことができる法曹を世に送り出せるか否かにかかっている。