1 インターネット
これは言葉というより、一つの思想と考えた方がいいかもしれない。
情報資源の共有やシステム全体の安定性を目的として、個々のコンピュータをつないだものがコンピュータ・ネットワーク。インターネットとは、このコンピュータ・ネットワーク同士をさらに世界的規模で縦横に結合しあったコンピュータ・ネットワークの「状態」である。ネットワークのネットワークであるから、末端のコンピュータの数は指数関数的に増殖する。しかも政府機関や大学、研究所といった閉ざされたネットワークから、一般社会にインターネットが開放されたことによって、(全世界の)不特定多数のユーザーが不特定多数のユーザーに向かって直接情報を発信し始めたのである。このようにして、インターネットというサイバー空間をさまざまな情報が流れ始めた。銃やドラッグの売買情報であれ、ハードなポルノ画像であれ、さまざまなアンダーグラウンド情報が、学術情報や政治・経済情報などと並んで堂々と存在をアピールしている。従来のメディアでは入手できなかった情報が、インターネットでは容易に入手できる。アンダーグラウンド情報専門のホームページは、全世界で5万とも10万ともいわれ、その正確な数は誰にも分からない。インターネットを少しでも体験すれば、情報が他の情報に無限に接続(リンク)されていって、誰にもコントロールできないような不思議なアブナイ感覚を体験できるであろう。インターネットの大流行は、このようにしてもたらされたのである。
わが国では、インターネットを含めてネットワーク上を流れる情報についての包括的な法規制あるいは法的ルールは、今のところ存在しないに等しい。そのためネットワーク上において問題が生じた場合には、いきなり刑法の問題、つまり犯罪の問題となりやすい。刑罰による解決は最後の手段でなければならないが、他の法的規制が存在しないためにいきなり「伝家の宝刀」が抜かれることになる。これは、必ずしも理想的な姿であるとはいえないだろう。
情報内容に対するコントロールが必要であるとの意見は強い。しかし、インターネットでは情報が国境を越えて地球的規模で分散・共有されることから、どのようなコントロールが有効なのか、今は誰も自信をもって答えられない。税関で摘発されるポルノも、国際回線を単なる情報として流れれば、それを遮断することは現在のところ技術的には不可能である。人類は、かつてこのようなメディアを手にしたことはなかった。産業革命以来の、これは人類にとってのまさに「重大事件」であるに違いない。
2「ベッコアメ」事件
今年1月に起こった「ベッコアメ」事件は、既存の社会秩序とデジタル空間の摩擦の大きさを象徴する一つの事件といえよう。
インターネット上にわいせつ画像を流していた東京都内の会社員(28歳)と高校生(16歳)が、わいせつ図画公然陳列(刑法175条)の容疑で警視庁の取調べを受け、本年4月に会社員には懲役1年6月執行猶予3年の有罪判決が下された。二人は、インターネットの商業プロバイダ(接続業者)である「ベッコアメ」(本社・東京都)にそれぞれ個人でホームページを開設し、わいせつな画像をアップロード(下位のコンピュータから上位のコンピュータにデータを一括して転送すること)していた。二人のホームページには、国内外から五ヶ月で一五万件ものアクセスがあったという。もっと凄いものはないのかという「利用者の声」に、内容がどんどんエスカレートしていったという。そこに掲載されていた画像は、すべて性器が露出された無修正のものであり、既存の印刷メディアであったとすればただちに刑法175条が問題となるようなケースであったと思われる。
「ベッコアメ」事件は、これまで刑法175条が問題となったケースと比べて主として次の二点において特徴的である。
第一に、デジタルなわいせつ情報の(国際的な)流通が問題となっている。情報の流れを現行刑法によってコントロールすることは、はたして可能なのであろうか。
第二に、犯罪的な情報をあえて削除しなかったという点において、インターネット・プロバイダの刑事責任もまた問題となる。現在、個人がインターネットにアクセスする方法としては、電話をかけた時だけサービスを受けられる「ダイヤルアップIP接続」が一般的である。一般のユーザーは二四時間コンピュータをインターネットに接続しているのではないので、プロバイダがそのコンピュータ上に個人のホームページを開設できるような付加的サービスを提供するようになっている。そのことによって、本来インターネットへの接続を媒介する電気通信事業者としてのインターネット・プロバイダの性格が曖昧になっていることも問題の背景にある。
現行刑法にはいくつかの新しい規定が導入されてはいるものの、基本的には伝統的な古い犯罪行為類型が念頭におかれている。コンピュータ・テクノロジーの急激な進化の前では、新たな社会現象に対して現行の法体系はもちろんのこと、伝統的な法概念や法的ルールが十分に対応しきれない面があるように思われる。そして、何よりも今までにわが国の裁判所においてわいせつと判断されたものと内容において同等かあるいはそれ以上にわいせつ性の高い情報が、すでにインターネットを通じて海外から容易に入手可能であったし、現在も入手可能なのである。わいせつ性の判断は、当然国によって異なる。海外で合法的でも、日本国内では違法と判断されることはある。逆も然り。国内法の解釈として、外国での基準をストレートに日本法に適用し、違法性を判断することは妥当ではない。しかし、インターネットを通じて入手されたその種の画像がすでに無数に日本国内に存在しているという事情は、一般国民のわいせつに対する考え方に大きな影響を与える可能性のあることをうかがわせるものである。
わいせつの刑法的規制が是か非かの議論は、本稿では行わない。問題は、解釈論として、ネットワーク上のわいせつ画像を現行の刑法175条によって規制できるのかである。
3 わいせつ情報と刑法175条
(1) 新たな問題としてのわいせつ情報
ネットワーク上にアップロードされたわいせつ情報は、デジタル化された画像データである。オリジナルデータと判別不可能なコピーがネットワークにアップロードされ、オリジナルデータは通常は行為者の手元(フロッピィディスクやハードディスクなど)に残る。そして、ネットワークにアクセスした不特定多数の者がそのアップロードされたデジタル情報を各自のマシンにダウンロード(他のコンピュータにあるデータを通信回線を利用して自分のコンピュータに転送すること)し、画像ビューアとよばれるソフトを使ってディスプレイ上に再生・表示する。ここで伝達されているものは、まさに「(デジタル化された)わいせつ情報」そのものである。ところが、「わいせつ情報」そのものがストレートに刑法175条の「わいせつの文書、図画その他の物」にあたる、とした裁判例はみあたらない。
(2) 有体物を前提とするこれまでの判例
デジタルなわいせつ情報という意味では、ダイヤルQ2を扱った大阪地裁平成3年12月2日判決(判時1411号128頁)が参考になる。本件では、あらかじめカセットテープに録音されたわいせつな音声が、録音再生機にいったんデジタル信号として記録され、その後電話をかけてきたダイヤルQ2の利用者に、そのデジタル信号を再生した音声を聞かせていたというものであり、カセットテープをその都度再生していたものではなかった。大阪地裁は、「従って、公然陳列されたか否かが問題となるのは、カセットテープそのものではなく、一旦デジタル信号としてわいせつな音声を記憶させた録音再生機である。」とした上で、本件録音再生機を「わいせつ物」と認定し、これをダイヤルQ2を通じて不特定多数に対して再生可能な状態に置くことが「陳列」に当たるとしたのであった。
わいせつな音声が録音されたテープが「わいせつ物」となることは、すでにいくつかの裁判例において確認されている。その形状がわいせつであることは要求されていない。かりにダイヤルQ2を「情報」という観点から刑法的にとらえることが許されるならば、カセットテープも録音再生機も内容的には同一であるから、元のカセットテープを「わいせつ物」とし、それが再生されたとすることには妨げはない。しかし、大阪地裁は、現実にわいせつ情報を再生した「物」が刑法175条の規制対象となるとし、録音再生機を「わいせつ物」であるとした。これは、「わいせつな文書、図画その他の物」が「有体物」であることを暗黙の前提としてきた従来の判例の流れの中にある。不特定多数の聴覚に訴えることを「陳列」とした問題はあるものの、カセットテープではなく録音再生機が「陳列」された「わいせつ物」である、とした大阪地裁の判断は、それなりに一貫しているというべきだろう。
(3) すべてのコンピュータがわいせつ物?
右のような論理は、ネットワーク上のわいせつデータにも及ぼすことができるのだろうか。
パソコン通信(BBS)では、ユーザーが自己のマシンからシステム全体を統括するホスト・コンピュータにわいせつなデータをアップロードし、それがホスト・コンピュータの記憶装置に記録され、各ユーザーがそれを各自のマシンにダウンロードする。わいせつ物の形状が問題でないならば、わいせつデータを記録しているホスト・コンピュータが「わいせつ物」となるだろう。大容量のハードディスクにわずか数十キロバイトのわいせつ画像データがあれば、そのハードディスク全体が「わいせつ物」なのだろうか。インターネットでは、インターネット上のコンピュータ言語であるハイパーテキスト(HTML)のリンク機能によって、データが各コンピュータ(サーバー)において共有されることもあるから、この場合は特定のわいせつデータにリンクを貼ったホームページが開設されている、インターネット上に点在する各サーバーがすべて「わいせつ物」ということになる。「わいせつ物」という言葉をそのような文脈において使用することは、これまでの判例からも、一般の常識的な用語法からも外れることになるだろう。性器を形どった巨大な彫刻のようなものがあったとすれば、それを「わいせつ物」と呼ぶことは構わないが、形状を問題としないならば、物理的な限界を考えることは難しい。極論すれば、地球そのものが「わいせつ物」である。わいせつなビデオテープとの比較からいえば、せいぜいわいせつデータが記録されているフロッピィディスクやMO(光磁気ディスク)、CD‐ROMなどの携帯型の記憶媒体のみを「わいせつ物」と判断することが表現としてのギリギリの線だと思われる (ただし、肉眼で直接わいせつ性を確認できないという問題は残る)。
従来の判例に従えば、わいせつなフィルムを映写や放映することは「陳列」にあたる。ただし、「陳列」されたものはスクリーンやブラウン管に映し出された「映像」ではなく、「わいせつフィルム」それ自体である。フィルムの陳列手段として、映写や放映という行為が行われた。一時的な映像(画像)は「図画」ではない。わいせつな行為がフィルムやビデオなどの媒体に固定化されてはじめて、その媒体自体が「わいせつ物」となる。おそらく、学説においてもこのような考えが一般的であると思われる。「陳列」という言葉それ自体は、対象を観覧可能な状態におくことであるから、情報媒体がどのようなものであれ、その内容を知ることができるような状態にあれば、言葉の一般的な意味として「陳列」されたといってよい。わいせつデータをディスプレイに表示することも、その限りでは「陳列」といってよい。しかし、刑法175条が「陳列」される対象を有体物に限定しているならば、「陳列」という言葉の意味も制限的に解釈せざるをえないだろう(「頒布」「販売」についても同様の問題が生じる)。
物質のパターンによって記録されたものが情報であり、それは「物」そのものではないのだから、情報を不特定多数に伝達することは、刑法175条が想定している処罰の範囲を越えるのではないだろうか。コンピュータ・ネットワークとはコンピュータが相互に接続されている「状態」であり、そこを情報が駆けめぐるのであるから、「物」に基礎をおいた従来の刑法における情報のとらえ方ではどうしても無理が生ずるように思われる。
4 プロバイダの刑事責任
ネットワーク上のわいせつ情報が刑法175条に該当しないならば、当然ネットワーク管理者の刑事責任もまた生じない。したがって、以下では一応ネットワーク上にわいせつ情報を流すことが刑法175条に触れると仮定した上で、ネットワーク管理者の刑事責任について考察する。
(1) ネットワーク管理者が知らなくても
ネットワーク管理者がシステム内においてわいせつ情報が流通していることを知らなかった場合、管理者は何らの刑事責任を問われるものではない。しかし、現実の捜査実務ではネットワーク上のわいせつ情報が刑法175条の規制対象となるとの立場から、わいせつ情報をアップロードしていたユーザーに対する捜査の過程で、そのオンライン・システムが捜索や差押・検証などの対象となることがある。それはもちろん管理者に対する懲罰としてなされるものではないが、結果的にはそのような捜査が管理者とそのシステム全体に対して決定的なダメージを与えることになるだろう。社会的経済的な混乱の小さい、小規模のBBSだけが摘発の対象となるおそれがある。
(2) プロバイダは「情報の番人」か
わいせつデータの存在を知りながらあえて削除しなかったプロバイダは、刑法175条の(不作為の)共犯となるのだろうか。プロバイダについて、ネットワーク内の犯罪的情報に対して一般にそれを削除すべき法的な作為義務が認められるのであろうか。
基本的に二つの考え方が可能である。一つは、インターネット・プロバイダを電話会社と同様の「コモンキャリア」とみなして、彼らが扱う情報内容については基本的に責任を負わないとするものと(電話が脅迫に利用されてもNTTは責任を負わない)、他は、プロバイダはいわば「情報の番人」であり、提供するサービスにおいてユーザーが流す情報について責任をもつべきであるという考え方である。電気通信事業法からみて、いずれの立場が妥当なのであろうか。
電気通信事業法は、電気通信役務の「円滑な提供を確保する」ことを目的とし(1条)、電気通信事業者は、利用者や利用目的のいかんを問わず「電気通信役務の提供について、不当な差別的取扱いをしてはなら」(7条)ず、さらに「電気通信事業者の取扱中に係る通信は、検閲してはならない。」(3条)と規定している。また、同法四条では「電気通信事業者の取扱中に係る通信の秘密は、侵してはならない。電気通信事業に従事する者は、在職中電気通信事業者の取扱中に係る通信に関して知り得た他人の秘密を守らなければならない。その職を退いた後においても、同様とする。」として、通信の秘密を保障している(罰則は104条及び105条)。「電気通信事業者の取扱中に係る通信」とは、コンピュータ・ネットワークに入力された時点から各ユーザーがダウンロードする直前のネットワーク管理者の管理下にある状態の情報をいうと解されるから、たとえわいせつ情報であっても本条によって検閲が禁止される情報であると思われる 。また、通信における「検閲」とは、憲法21条2項前段における国家機関による表現内容の事前審査よりも広く、プロバイダがユーザーの通信内容を正当な業務の範囲を超えて積極的に知ることをいう。このような行為を電気通信事業法が禁止しているのは、通信事業を「コモンキャリア」として位置づけることの当然の帰結であると解される 。
以上のような諸規定から判断すると、インターネット・プロバイダに対して一般的にネットワーク内のわいせつ情報を削除すべき刑法的な作為義務を認めることは難しいと思われる。
5 おわりに
インターネットでは情報がどこにあろうと問題ではない。規制のより緩い海外のプロバイダと契約し、日本から海外にわいせつなホームページを開設した場合、日本国内のホームページと全く同様にそれを見ることができる。しかし、それを処罰することはおそらく理論的にも難しいだろう。たまたま国内にあったわいせつなホームページを処罰するための解釈学的な根拠をみつけることも、同様に困難であるだろう。
現行刑法175条は、基本的に「物」に対する規制の体系である。コンピュータ・ネットワークにおいては、情報が物を離れて一人歩きする。従来の刑法の枠組みにとどまり、刑罰を前面に押し出してわいせつ情報の問題を解決しようとする態度は、ネットワークの発展を無視した一人よがりの解決となるおそれがある。ネットワーク上のわいせつ情報についての扱いは、わいせつ情報をあえて「物」に引きつけて刑罰を適用せざるをえない現行刑法の致命的な限界を超えるケースであると思われる。現行の刑法175条を前提とする限り、刑法がコンピュータ・ネットワークにおける「情報の番人」となることはかなり難しいのではないだろうか。 【主要参考文献】 加藤敏幸「ネットワーク不正使用」情報研究第4号27頁(1996年) 佐久間修「『わいせつ』情報の頒布、販売、公然陳列について(一)」産大法学27巻2号1頁(1993年) 堀部政男「わいせつ画像とインターネットの規制」法学教室187号104頁(1996年) 山口 厚「情報処理技術の進歩と刑法」落合誠一[編]『論文から見る現代社会と法』135頁(1995年) [追記] 本稿執筆中(6月12日)、アメリカのフィラデルフィア連邦地裁は、インターネットなどのネットワーク上で未成年者への「下品な」情報、「明らかに不快な」情報などの送信を禁じた電気通信改革法(CDA)の一部の条項が、言論の自由を保障した憲法に違反するとして、同条項の実施を差止める仮処分の決定を下した。アメリカがインターネット先進国であるだけに、この決定が世界に与える影響は大きいと思われる。