刑法教育

1. 刑法教育の目的

犯罪に対する関心はあっても、刑法学への興味を喚起させ、学習を持続させることは難しい。刑法理論は難解であり、言葉に対するこだわりを軽視することはできないから、授業内容は抽象的になりがちである。Aか非Aかといった二値論理の積み重ねが重視される一方で、「相当性」や「危険性」といったファジィな概念が問題となる局面もある。授業が単なる情報提供に終わることなく、心の底から「納得した」という状態に学生を連れて行くにはどのようにすればよいのか。教える側もつねに苦心する。

現在の法学教育を職業教育として位置づけるのは、理念としてはともかく、現状とのギャップがあまりにも大きすぎる。犯罪といっても何も特殊な世界のことではなく、人を非難したり人に不利益を課したりすることは、犯罪に限らず一般的なことでもあるので、刑法における議論が学習者の日常生活にうまくつながるような授業ができれば、刑法教育の最低限の目標は達成できたかと思う。

2. 刑法の何を教えるか

「なぜ」刑法を教育するのかに対する答えによって、刑法の「何を」教えるのかも違ってくる。

学習者が刑法的な概念の適用を知り、概念の操作を覚えることも重要であるが、学習者の頭の中にある既存の知識体系に刑法の考え方を新たに組み込み、学習者の知識体系を組み換えることが根本であると考えている。その意味で、授業の中心はやはり条文の解釈であるが、脳死や公害など現代社会に特有のテーマを通じて、刑法的な物の見方に対する興味を喚起するようにしている。

法情報に関するデータベースの充実にともなって、求める情報にいかにアクセスして、いかに加工するのかという技術的な面での刑法教育の重要性も増すだろう。CD-ROMとして提供されている六法を使えば、「法定刑に罰金刑を規定している条文」、「構成要件に『暴行』という言葉が出てくる条文」、このような検索が驚くほど簡単にできる。アウトラインプロセッサやアイデアプロセッサを使ったレポートの作成方法なども教育する必要性は認められる。

3. 方法について

刑事裁判の傍聴や刑務所参観等も行うが、授業形態としてはやはり講義と演習(ゼミ)が中心である。講義は一方的な知識伝達形式、演習は討論形式。ともに学習者にある程度の準備が必要となる。とくに講義では、受講生の積極的な意欲と学力・準備が不可欠の前提である。口頭によって伝達される知識を理解し、ノートに適切に整理することが要求される。ところが彼らはこのような技術を学習したことはなく、また大学で教える機会もないに等しい。さらに、講義は刑法の体系に従ってシーケンシャルに進められるため、体系に乗りにくい情報は捨象される傾向がある。トータルな知識の育成という観点からは、体系化されにくい情報や画像情報などの提供も考慮しなければならない。つまり、生の情報を一つの固まり、迷宮として学生に呈示し、彼らがさまざまな文脈において任意に情報を関連づけ、新たな道筋を発見する柔軟な能力も開発すべきである。

補助的教材としてはビデオが一般的かと思うが、刑法に関するビデオ教材は乏しい。抽象的な概念の実際への適用などについて適切なビデオ教材があればぜひ使いたい。ちなみに刑事学の講義では、必要に応じて刑務所や暴力団に関するビデオなどを呈示しながら授業を進めている。写真や統計資料などは教材呈示装置によって何台かの大型テレビに映し出す(OHPは大教室の講義には向かない)。画像情報は、伝達される情報量が文字情報に比較してはるかに多く、それだけ不要な情報も大量に含まれているわけではあるが、学習者の動機づけや全体的な理解のためには有益である。ビデオは特定の視点から編集されているので講義の流れにかみ合わない場合もあるが、一定の時系列に従って編集されているため、とくに手続的な問題を理解させるのによいと思う。

補助的教育方法としては、私は昨年よりパソコン通信を利用した遠隔教育の実験的な試みを行っている。関西大学には「ふくろうネット」というパソコン通信のネットワークが構築されている。このネットには、学内の専用機端末からはもちろんのこと、自宅のワープロやパソコンからNTTの公衆回線などを通じて二四時間どこからでもアクセス可能である。ここには、情報サービス(総合図書館のオンライン図書検索や日英翻訳サービスなど)とコミュニケーション・サービス(教職員間の業務連絡や学生との連絡など)の二つの機能がある。私は、現在ゼミ生対象の電子会議室と一般学生対象の刑法に関する電子会議室を開設している。ゼミ合宿の連絡、報告のレジュメなどをゼミ生が書き込み、私がコメントを付す。また講義で触れることのできなかった点や試験問題解説、判例紹介、ドイツ刑法などの情報を提供している。さらに電子メールによって学生から質問や相談を受け付け、それに対して電子メールで返信を送る。ゼミ生のレポートは、将来はすべて電子メールによって提出させるようにしたい。

4. 刑法教育とメディア

近年、ニューメディアの教育への応用が議論されているが、メディアが教育を限定するのではなく、刑法の教育にとってどのようなメディアが有益かを論じるべきである。

刑法を含めて法律学の学習については、文字情報が中心となる。文字情報のメディアとしては、現在のところ紙にまさるものはないから、印刷メディアである教科書や法律雑誌などの重要性は依然として否定されない。ただし教科書はあくまでも講義の補助教材であり、情報の整理のための素材として位置づけた方がよい。物事を「理解した」ということは、学習者が関連情報を知り、その情報に基づいて事実を分類できることが前提となるが、それを越えて「得心した」という心の状態にまで至る必要がある。教科書は、その情報の提供と情報に基づく事実の分類を簡潔明瞭に整理したメディアであるべきだと思う。いわゆる体系書は、そもそも講義に出席することができない者が自習する手段である。

コンピュータの刑法教育への利用についても、現在はまだコンピュータにはできないことの方が多いと考えた方が妥当かもしれない。大量の文字情報(学説・判例)を読ませるなら、ディスプレイより紙の方がすぐれている。しかし、基礎的概念の学習については、パソコンを使ったドリル型CAIによって、講義等による教育を代替できる部分がかなりあるのではないか。可能ならば、それだけ講義等が充実する。刑法の自習支援システムを構築すれば、教育的効果は高まることが期待され、現在研究中である。

メディアに乗せる情報の質の問題は当然であるが、文字情報を画像情報と組み合わせていかにニューメディアに乗せるのかということも、今後の課題かと思う。

〈参考文献〉 那須正夫「使いこなすパソコン通信」(1989年) 浜野保樹「ハイパーメディアと教育革命」(1990年) 奥出直人「思考のエンジン」(1991年) 高橋三雄「パソコン・ソフト入門」(1993年) 山中速人他「ビデオで社会学しませんか」(1993年)