ストーカー行為規制法

1 はじめに

 リンデン・グロスの「ストーカー/ゆがんだ愛のかたち」(秋岡史[訳])が1995年に出版されて、以来「ストーカー」という言葉は急速に広がり定着する。「ストーク(stalk)」とは、「忍び寄る」「(疫病や死が)まん延する」「いばって歩く」こと。意味的には矛盾する内容を含んでいるが、「相手に不安を与える異常なつきまとい」として使用される。もちろん、九五年に突如として「ストーカー」が出現したわけではない。しつこく尾行し、無言電話をかけ続け、不可解な手紙を送り続ける事案は前からあった。しかし、「異常なつきまとい」が殺人にまでエスカレートしたケースが現実に起こり、闇の向こうに潜む恐怖の実態を「ストーカー」という言葉が照らし出して、ストーカー被害の深刻化が社会問題となった。岩手・宮崎・鹿児島県など、全国各地でストーカー防止条例の制定が相次ぐ中、第一四七回国会で、「ストーカー行為等の規制等に関する法律」(平成12年5月24日法律第81号)が異例の速さで成立した(同年11月24日に施行)。

 この法律の制定によって、現実には多種多様な個別の事例として存在した不気味な社会現象に範囲設定がなされ、多数の事象にひとつの統一があることが承認された。安定した秩序や人間関係を得体の知れない力が侵犯し、和解を拒否して生き生きと闊歩する悪が存在することを法が認めたのである。

2立法の背景

 全国の都道府県警察が相談を受けた「つきまとい事案」の件数は、平成9年6134件、同10年6032件、同11年8021件だった。そのような中で、ストーカー行為が凶悪事件にまでエスカレートするケースが相次いだ。

 千葉県市川市で、1999年6月、交際を一方的に断られた男性(29歳)が、ストーカー行為を繰り返したすえ、女性会社員(当時27歳)のアパートに合鍵を使って侵入し、女性をナイフで刺殺した。

 埼玉県桶川市で、昨年10月、女子大学生(当時21歳)が胸などを刺されて殺害され、元交際相手の実兄ら4人が殺人容疑で逮捕された。元交際相手も、女性を中傷するビラを被害者の自宅周辺などにまくように仲間に指示したとして名誉毀損容疑で指名手配されたが、今年1月、北海道屈斜路湖畔で入水自殺したのが発見された。

 静岡県沼津市で、本年4月、女子高生から交際を断られたかつての交際相手の男性(27歳)が、被害者につきまとったり、脅迫したりしたすえに、被害者を刺殺した。

 これらの殺人事件に共通し、他の殺人事件から際立たせるものは、なにか。それは、殺害に先行するつきまといの「反復継続」と「行為の増幅」である。

 一般にストーカー事件では、個々の行為を取り上げれば、明確に犯罪として把握することが難しいものがある。街角で静かにたたずみ、被害者をただ見つめるだけの行為。女性が帰宅し、灯りをつけたとたんにいつも電話がなる。受話器から、「おかえり」とささやく男の声。自分が出したゴミだけが持ち去られている。ビンに入った精液が送られる。被害者を絶望的な不安に陥れる行為は、無限にある。だが、個別に取りだせばその多くが犯罪ではない。しかしその反復継続が、被害者の平穏な生活を決定的に狂わせる。軽犯罪法に若干のストーキング的な行為は規定されているが、罰則が軽く、また何よりも反復継続されることによる被害者の不安の深さ、精神の失調は予定されていない。ストーカー行為が「軽犯罪法以上、刑法未満」といわれてきたのはこの点であった。

 また、ストーカー行為の中には犯罪として立件可能な行為もあるが、警察があえて動こうとはしなかったという問題性もあった。戦後民主主義の流れの中で、警察法第2条2項は、警察の活動について「いやしくも日本国憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあつてはならない」と規定した。特に金銭・男女間・家庭内トラブルの3つには、明らかに犯罪となる以外、警察はあえて積極介入しないとしてきた。いわゆる「民事不介入」の原則だ。しかし、家庭内暴力、児童虐待など、介入のタイミングを誤ったために悲惨な結果に終わったケースもある。ストーカー行為もこれと同じ文脈で再考すべき点があった。

3 ストーカー行為規制法の概要

 本法は、ストーカー行為を、特定の人に対して恋愛や好意感情、あるいはそれが満たされなかった場合の怨恨感情を満たす目的で、「つきまとい等」を反復することと定義した。具体的には、恋愛感情等の目的をもって、(1)つきまといや待ち伏せ、進路妨害、(2)行動を監視していると告げること、(3)面会、交際の要求、(4)著しく乱暴な言動、(5)無言電話や連続ファクス、(6)汚物、動物の死体などの送付、(7)名誉を害することを告げること、(8)性的嫌がらせ、などの行為を2回以上繰り返すと規制の対象となる(第2条)。

 では、法律は、現実に被害者をどのように守ってくれるのか。

 まず、被害者がストーカーの被害を自ら防止する覚悟があるなら、最寄の警察署に行って被害を訴え、援助を要請すべきである。警察は必要な支援を行ってくれる(第7条)。

 被害者が求めるならば、警察署長がストーカーに対して「ストーカー行為を止めなさい」と「警告」を発してくれる(第4条)。この「警告」でストーカー行為が終われば、刑事事件にはならない。しかし、「警告」が出されたにもかかわらずストーカー行為が続くようなら、公安委員会が、ストーカーから直接事情を聴いて(「聴聞」)、ストーカー行為を止めるよう「禁止命令」を出す(第5条)。

 この「禁止命令」にもかかわらずさらにストーカー行為が続くなら、警察が被害者からの告訴を受けて刑事事件として初めて捜査を開始する(親告罪)。裁判で「ストーカー行為」が認定されれば、1年以下の懲役または100万円以下の罰金が科せられる(第14条)。その他の禁止命令違反は、50万円以下の罰金である(第15条)。

 ストーキングの被害救済には急を要するものも多い。それまでの「優しい口調」が突如明確な加害の表現に変わる。それは相手を永遠に自分のものにするという、ストーカーの最後通牒であるかもしれない。警察が著しい危害を「防止するために緊急の必要があると認め」た時には、相手から聴聞や弁明の機会を与えなくても、ストーカー行為を止めるよう「仮の命令」を出すことも可能だ(第6条)。ただし、「仮の命令」の有効期間は15日間であり、公安委員会は15日以内に相手から「意見の聴取」を行い、「禁止命令」を出す。それでもストーカー行為が終わらなければ、警察が刑事事件として捜査を開始する。この場合の罰則も、1年以下の懲役または100万円以下の罰金となる(第14条)。

 以上のようなルートとは別に、ストーカーの直罰を求めることも可能だ。被害者が警察に「ストーカーを処罰してほしい」と告訴すれば、警察が、「警告」や「禁止命令」ではなく直ちに捜査に入ることもできる。裁判で有罪になれば、6月以下の懲役または50万円以下の罰金が科せられる(第13条)。ストーカーの直罰を求めた場合は、「禁止命令」に違反してストーカー行為を行った場合に比べて、法定刑が軽く規定されていることが特徴である。

4 問題点

 ストーカー行為の規制にとって最初の問題は、取り扱う事実の性質と位置づけだ。われわれは、だれかに手紙を書き、街中を散歩し、好きなときに立ち止まる自由がある。それをいつでも好きなときに行う自由もある。片想いの相手に愛を告白する自由もある。「異常なしつこさ」を「正常なしつこさ」から、なにによって分化するのか。構成要件が狭すぎないか、あるいは逆に広すぎないか。被害者が救済されるのか、あるいは逆に一般私人の自由が制限されすぎないかは、構成要件の記述の仕方にかかる。

 法は、規制対象を恋愛感情等に起因するストーカー行為に限定した。警察庁の調査では、「悪質つきまとい事案」のほとんどが交際や復縁の要求、性的関心によって引き起こされたという。このようなケースは特に悲惨な結果にいたる可能性が高いと考えられる。法がこの点でストーカー行為を目的犯として構成し、規制対象を限定列挙することによって他のつきまといから区別したことは評価できる。しかし、警察が心の中に入ることにはやはり慎重でなければならない(第16条)。公安委員会の「禁止命令」も、一般私人の行動の制限は行政機関とは独立の裁判所の判断によるべきだという近代国家の原則からすれば、あくまでも例外と位置づけるべきだ。

 また、男女関係以外のストーキングも現実には存在しており、定義を拡大するかは将来の検討課題となるだろう。さらに、法律にはネットワーク上で行われるストーカー行為(サイバーストーキング)についての特別な規定はない。Eメールや電子掲示板を利用したストーカー行為も一部は規制対象となる場合があると考えるが、そうではない行為も多い。これも今後の検討課題である。

 加害者のプライバシーや社会復帰の問題もあるが、加害者の出所情報が被害者に通知される仕組みがあってもよい。事件の処分結果や裁判期日などを被害者らに知らせる「被害者等通知制度」はあるが、出所に関する情報は知らされない。服役を終えたストーカーが、被害者の前に突然「あいさつ」に訪れるかもしれないのだ。(注)

 ともあれ、今後は「正常な恋愛」を「異常な恋愛」から的確に分化する力量が警察に問われることになる。新しい刑事法が施行されるときはいつもそうだが、現場の警察官に対する新法の理念に沿った教育と訓練、そして今回はなによりも人情の機微をうがつ豊かな人生経験が要求されるであろう。

【主要参考文献】

  • リンデン・グロス著(秋岡史[訳])『ストーカー/ゆがんだ愛のかたち』(祥伝社、1995年)
  • メリタ・ショーム/カレン・パリッシュ著(秋岡史[訳])『あなたがストーカーに狙われたとき』(現代書館、1997年)
  • 岩下久美子著『人はなぜストーカーになるのか』(小学館、1997年)など