京都アルファネット事件控訴趣意書

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京都アルファネット事件 控訴趣意書

          控 訴 趣 意 書             被  告  人   M  右の者に対するわいせつ物公然陳列被告事件について、控訴の趣意は左記の通りである。    一九九八年五月二六日             弁  護  人             弁  護  人             弁  護  人             弁  護  人 大阪高等裁判所 第五刑事部  御  中 記 第一 はじめに 一、本件は、NTT電話回線を利用した会員制(有料)のパソコン通信ネット「アルファーネット」を開設・運営していた被告人が、男女の性器、性交場面等を露骨に撮影したわいせつ画像のデータ合計約四一八二画像分を、右電話回線に接続されているパソコンネットのホストコンピュータのハードディスク内に記憶させて、ホストコンピュータの管理機能に組み込み、電話回線を使用したパソコン通信の設備を有する不特定多数の会員に右わいせつ画像が閲覧可能な状況を設定し、右わいせつ画像の情報にアクセスしてきた不特定多数の会員に右データを送信して再生閲覧させた行為が、わいせつ物公然陳列罪に該当するとして、被告人に対して、懲役一年六月三年間執行猶予の有罪判決が言い渡された事案である。 二、しかし、原判決は、 (1) 本件で「わいせつ物」とされるのは何か (2) 本件で陳列されたものは何か (3) パソコンネットの会員が記憶蔵置させたデータにつき、管理者が責任を負うのは何故か という諸点について、刑法一七五条の解釈適用を誤ったものであり、刑事訴訟法三八〇条に基づき破棄を免れないものである。 第二 わいせつ物公然陳列罪における「物」概念の現代的な意味について 一、原判決は次のように述べて、わいせつな画像のデータが記憶蔵置されている特定のハードディスクをもって「わいせつ物」であると認定する。  本件わいせつ画像のデータは、証拠上明らかなように、被告人の所有・管理する特定のハードディスク内に記憶・蔵置されているところ、本件パソコンネットの利用者が被告人のホストコンピューターにアクセスし、右画像データをダウンロードして再生しさえすれば、容易にわいせつ画像を顕出させることができることも証拠上明らかであるから、本件におけるわいせつ物とは、わいせつ画像のデータが記憶・蔵置されている特定の右ハードディスクであると考えることができる。この理は、わいせつな映像が記憶されたビデオテープの場合と同じである。ただ、本件ハードディスクの場合には、ビデオテープの場合に比べて、そこに記憶・蔵置されたわいせつ画像を顕出させるために、より複雑な操作・機器等が必要であるに過ぎない。  ここでは、わいせつなデータに関して、「物」概念を堅持する必要があるか、そして、その場合の「物」とは何か、公然陳列罪におけるわいせつ物は何か、を検討することにする。 二、「物」概念の必要性について 1、インターネットや、パソコン通信上でのわいせつ事犯の問題点の第一は、わいせつ画像が情報の形を取って、回線上を流動することであり、この事から、はたして規制対象は「物」なのか、それとも「情報(データ)」そのものなのかの動揺を生じている。  これまで、「わいせつな」ものとは、作者が考案するアイデアを小説、絵画といった形式を通して表現され、固定化されたものであった。あるいは、現実のモデルの姿態や行為を、写真・映画フイルムといった媒体に焼き付けて、映像として固定化し、記録したものであった。ここでは、こうしたものを考案した作者それ自身を問題とするでもなく、また、アイデアそれ自体を問題とするものでもなかったことは言うまでもない。あくまでも、表現された内容そのものを判断対象とし、それが表現された「物」を規制対象としたのである。 2、注意しなければならないのは、我が国では、すでに情報(データ)自体を評価の対象としたものが出現している点である。規制の対象は「物」であるけれども、評価の対象は必ずしも「物」そのものではなく、規制の対象たる「物」に内包されている、わいせつな情報(データ)である事実である。  すなわち、「物」としての形状や、表現内容をもってしても直ちにわいせつという評価を為し得ない対象物では、その対象物の内容たる情報(データ)を機械的な処理を行うことで我々の知覚可能な内容・状態に転換したうえで、再生し、あるいは上映し、その内容のわいせつ性を判断するのである。これまでに判例として固められているビデオテープのわいせつ性はその典型である(最高裁第二小法廷決定昭和54年11月19日)。ビデオテープは、目に見える映像を不可視的な電気的情報(データ)に変換して、そのテープ状の磁気帯にその電気信号を記録・蔵置しているものである。わいせつな内容は不可視的な情報(データ)として存在しているのであり、それは「ビデオテープ」という物理的存在からは判断することはできない。どうしても内容としての情報(データ)を再現するほかないのである。  わいせつな内容が、情報として記録され、蔵置される現象はすでに日常的になっている。フロッピー・ディスク(FD)、ZIPなどといったデジタル信号を記録・蔵置する磁気体、CD、MO、PD等「光学式ディスク」といわれる、レコード状のプラスティック円盤に映像・音声・文字情報を光学的信号として記録・蔵置したものなどが、情報の固定化の方式、固定化するための媒体として主流になっている。 3、ところが、情報記録媒体(FD、ZIP、CD、MOなど)の外形は全く「わいせつ性」がなく、どれをとっても同じ状態・形状であることから、規制対象を物自体ではなく、情報自体とする極めて素朴な発想が生じる。これは、物の形状にとらわれた発想であり、「評価の対象」と「規制の対象」とを混同したものである。  こうした観点から、「有体物としてのコンピュータは何らわいせつ性のない物であり、これをわいせつ物であるということはあまりに不自然かつ技巧的である」(岡山地裁平成九年一二月一五日判決・公刊物未登載、名取俊也「新判例解説」研修五九六号二二頁参照)という見解がよく主張されている。このような立場をさらに推し進めて、情報そのものを刑法一七五条の規制の対象物たる「わいせつ図画」に含めて理解しようとする見解も現れている(堀内捷三「インターネットとポルノグラフィー」研修五八八号三頁以下)。 4、これらの主張は、評価の対象たるわいせつ情報が、当該コンピュータに記録・蔵置されていることを認めつつ、しかし、コンピュータはわいせつ物ではないという、評価対象(データ)と規制対象(ハードディスク乃至コンピュータ)の混同を犯した議論であり、整理の必要があると考えられる。  評価の対象、すなわちわいせつな内容が「情報(データ)」に変化しているのは、既に相当以前から始まったことであり、それをもって「わいせつ性」を判断することに今日的な紛争はない。  ところが、規制対象を「情報(データ)」そのものと理解する議論は、存在するものの(渡辺淳「法律の広場」四五巻一〇号六五頁、野口元朗「研修」五八一号三二頁など)、判例及び多くの学説は、物自体を規制対象とすることで一致している。データ規制に極めて積極的な論者も、わいせつデータを取り締まりたいが、どうしてもその対象は「物」であることにこだわり、これは超えるべきではないという(山口厚「コンピュータネットワークと犯罪」ジュリスト一一一七号七六頁、前田雅英「インターネットとわいせつ犯罪」ジュリスト一一一二号八三頁、但しその後、前記岡山地裁所決により改説)。 5、こうして、「物」にこだわり、規制対象としては有体物であることを前提にするという発想は、極めて論理的であり、かつ合理的である。  すなわち、一般のわいせつ物に関する事案でも、「わいせつな内容」として問題となるのは当該「表現行為自体」(写真の一部、文章の一部、場面の一部など)にあるのであり、写真集といった「書籍」や、小説としての「書籍」、あるいは膨大な長さの映画フィルムという「形態」自体がわいせつとされるものではではない。「書籍」形態がわいせつでないのと同様に、ハードディスクの形態はわいせつではないのであり、こうした形態論から、「不自然かつ技巧的」というのはあたらない。わいせつな情報(データ)を内包するハードディスクなどを、わいせつ物と判断することの方が、印刷物たる紙の形状の物、あるいは書籍という形状の物をわいせつ物と判断すると同様に、極めて自然であり、合理的なのである(同趣旨、名取俊也「研修」五九六号二五頁)。 三、何が「わいせつ物」か 1、わいせつ物は、わいせつな内容たる「情報(データ)」が化体されている有体物であると言えるが、これまでの判例、学説はこの点について明確に審査していないように思われる。問題の情報が化体されていれば、何でもいいのではなく、化体されている物を、「特定」し限定する必要がある。実はそれが、刑法の罪刑法定主義の要求であり、表現の自由の観点からの要請である。  すなわち、文学においても映画においても、わいせつとされるものの内容は詳細に吟味される必要があり、その特定は重要になる。大河小説の中の、ある一章、あるいはある特定の場面が、わいせつと評価された場合に、その小説の全てが「わいせつ物」になるかといえば、そうではない。わいせつと評価された当該問題となる表現個所が「わいせつ物」なのである。その独立した物体としての有体物自体がわいせつ物にはならないのである。これまで、わいせつの評価の問題として、どの場面が問題かは多いに議論され、詳細な認定がなされてきた。決して、小説全部や、映画の全部が、漫然とわいせつだと評価されたわけではない。従って、作品の一部が可分か否かという芸術論争はさて置き、問題箇所が可分である時は、その部分のみを「わいせつ物」と評価すべきであり、これを否定する根拠はない。  例えば、大部な写真集の中である特定の写真に映し出された被写体、あるいはその表現が「わいせつ」であると評価された時に、その大部な写真集の全て、それ以外の多くの写真が掲載されているものの全てを「わいせつ物」とする必要は全くない。問題表現のあるページだけ、その写真が掲載されている紙だけが「わいせつ物」であるとされれば必要かつ十分である。ただ、写真集全体として、一つの物理的存在となっている以上は犯罪組成物としての存在や、没収対象としてはその一冊の写真集が対象とされるのは止むを得ないのである。  むしろ、可分な表現の中から、問題個所だけを抜き取り、問題とすることは、表現規制において「より制限的でない」手段であり、合理性が担保されることにもなる。従って、わいせつと評価された問題部分を排斥して、再生し、公開すること、販売することは何ら問題にならないのである。一人の作品ではなく、数人で合同して作成した同人誌、数名の写真家の作成した写真集、オムニバス形式の映画など、こうした発想が必要なものは数限りなく存在する。 2、こうした発想に従えば、特に大量の情報が集積され、蔵置されているハードディスクなどの場合を、実に簡明に理解することができる。  「わいせつ物」の特定は、当該わいせつな情報が化体されている有体物たるハードディスクなどの中の、ファイル(写真などの頁にあたるもの)を指定することで特定は可能であり、その特定方法で完全に特定できる。確かに、客観的、物理的には、当該情報が、ハードディスクの中の数枚の磁気ディスク上の一定の範囲に分散して蔵置され、一見バラバラに存在している場合があるが、しかし、理論的に、かつ機能的には、「ファイル」名で特定され、その特定方法により当該情報を取り出すことも、消去することも可能である。こうしたファイルによる特定により、一定の範囲で物理的には分散された情報が一つのまとまりのある「ファイル」として取り出される仕組みになっており、ハードディスクに内蔵されている情報の表示方法としてルール化されているものであり、最も安定した指定方法なのである。  しかし判例はこれまで、わいせつな情報が記憶されているハードディスク全体をわいせつ物として扱ってきた。 3、サイバーポルノに関する本判決以前の裁判例として、(1)いわゆるベッコアメ事件に関する東京地裁平成八年四月二二日判決(判例時報一五九七号一五一頁)のほか、(2)横浜地裁川崎支部平成七年七月一四日判決、(3)京都簡裁平成七年一一月二一日略式命令、(4)札幌地裁平成八年六月二七日判決((2)ないし(4)はいずれも公刊物未登載)があるが、ハードディスク、あるいはディスクアレイそのものを「わいせつ物」と判断していた。  また、デジタルなわいせつ情報が記憶・蔵置されている装置類をわいせつ物と判断した判例としては、ダイヤルQ2を利用してわいせつな音声を聴取させていた事案に関する大阪地裁平成三年一二月二日判決(判例時報一四一一号一二八頁)がある。右判決は、「わいせつな音声を録音した物は刑法一七五条の文書、図画以外のわいせつな物に該当」し、「カセットテープの音声を録音再生機にデジタル信号として一旦記憶させ、その後、電話をかけてきた聴取者に、再生した音声を電話回線を通じて聞かせていた」のであるから、公然陳列された客体は「デジタル信号としてわいせつな音声を記録させた録音再生機」であり、「誰でも、いつでも、どこからでも、所定の電話番号の所に電話をかけることによって、本件録音再生機に記憶された録音内容を聞くことが出来る状態にした」ことをもって公然陳列が認定された。  ハードディスク、あるいはディスクアレイそのものをわいせつ物と判断した原判決は、これらの判例の延長線上にあると言える。 4、しかし、このような漫然たる理解では、現在起こりつつある事態を正しく理解することはできない。  判例では、ダイヤルQ2の録音再生機から端を発して、ハードディスク、あるいはハードディスクが重層的に有機的に結合した「ディスクアレイ」と呼ばれる巨大な記憶媒体までは、何とか同一の理論構成の下に理解しようとしたようである。しかし、デジタル信号を記録したダイヤルQ2の録音再生機やわいせつ画像のデータを記録したFD、CDを丸ごと「わいせつ物」と判断したのと同様の発想でもって、そうした巨大な情報記憶媒体も丸ごと「わいせつ物」と判断したことで、そこに蔵置されている無関係の情報をも「わいせつ」としてしまった。  そこに蔵置されている情報量は実に膨大で、情報の数としては天文学的な数量に及ぶものである。作成者も異なり、数百名、数千名に及ぶ。作成時期も異なり、作成内容も異なる。相互に関連性がないのが通常である。いわば、巨大な図書館をイメージすれば良い。こうして、これまでの判例は、巨大な図書館の全てを「わいせつ物」と判断してきたことにほかならないのである。  さらに、現代は、コンピューターは「ネットワーク」といわれる巨大なシステムとして接合され、離れた数台、あるいは数百台の巨大なコンピュータが一組織としての有機的な結合体になっていることが多い。インターネットはまさに、世界中に散在するコンピュータを通信回線で網目状に結合した世界規模のネットワークシステムであって、そこでは「リンク」と呼ばれる機能によって、瞬時にあるコンピュータに記憶されている情報を参照して、他のコンピュータに次々と接続する、いわゆる「ネットサーフィン」を体験することができる。つまり、場所的に隔絶された世界中のコンピュータに記憶・蔵置されている情報が、あたかも仮想的な一つの空間に全て一つにまとまって存在するかのような、「国境なき情報の流通」の状況が出現したのである。  このような現実を見る限りは、簡単に「ディスクアレイがわいせつ物である」などとは認定できないのである。 5、このような疑問は、原審において提出した園田寿関西大学教授の意見書「コンピュータ・ネットワークと刑法第一七五条」(弁第一〇号証 以下、「園田意見書」という。)においても、以下のように明確に指摘されているところである。  「インターネットにおいては、わいせつ情報がHTMLのリンク機能によって各サーバー上を地球規模で伝播する。わいせつ情報が各サーバー上のホームページにおいて共有されることもあり得るから、特定のわいせつ情報にリンクを貼ったホームページが開設されている、インターネット上の無数の各サーバーが「わいせつ物」と言うことになるだろう。わいせつな形状を問題としないならば、「わいせつ物」という言葉をそのように用いることについて、それが論理的に誤り出あるとすることはできない。しかし、そうすると地球全体も一つの系と考えることができるから、極論すれば地球上に「わいせつ」と表現できる物が存在する限り、地球そのものが「わいせつ物」であるというように表現することも可能となる。「わいせつ物」という言葉をそのような文脈において使用することは、明らかに一般の常識的な用語法からも外れることになるだろう。(中略)コンピュータ・ネットワークとはコンピュータが相互に接続されている「状態」であり、そこを情報が駆けめぐるのであるから、物に基礎をおいた従来の刑法における情報の捉え方ではどうしても無理が生ずるのである。(中略)このような状況を素直に直視するならば、これを現行刑法の限界として意識することが、刑法解釈論としては謙虚な態度であると思えるのである。」(園田意見書二六頁ないし二七頁、同趣旨、園田寿「サイバーポルノと刑法」法学セミナー一九九六年九月号六頁) 第三 わいせつ物公然陳列罪における「物」概念と罪刑法定主義 一、本件を刑法一七五条で処罰することは、以下に述べるとおり、刑法上の大原則である「罪刑法定主義」に違反する。 二、罪刑法定主義には、次の二つの内容が含まれていると解されている(平野龍一「刑法I」(有斐閣)六四頁以下)。  (1) 法律主義 何が犯罪であるかは、国民自身が、その代表である 国会を通じて決定しなければならない。  (2) 事後法の禁止 何が犯罪であるかは、前もって明らかになっていな ければならない。  この「罪刑法定主義」は日本国憲法で保障されている。すなわち、憲法三一条は、主として「法律主義」を規定したものであり、憲法三九条は「事後法の禁止」に根ざしている(平野龍一「刑法I」(有斐閣)六五頁)。 三、罪刑法定主義上の大原則として、類推解釈が禁止されていることについては、なにびとも異論を差し挟む余地はない。  これは、仮に行為の際に何らかの刑罰規定が既に存在していたとしても、その刑罰規定の解釈枠を越えて無理な拡張適用をすることにより処罰することは許されないというものである。  「裁判所が類推解釈によって処罰すると、国会が処罰しようと考えていなかった行為を処罰することになって法律主義に反するし、行為者の予測可能性を害する事後法だということになるからである」(平野龍一「刑法I」(有斐閣)七六頁)。  要するに、憲法により、刑法上の類推解釈が禁止されている理由は、国民の代表である国会(立法府)で決められるべき「刑罰の範囲」という極めて重大な問題が、立法府を無視して勝手に決められてしまうことになるし、もし類推解釈の禁止が崩壊すると、誰でも事前に自分が行う行為が、「してはいけないこと」「処罰される行為であること」かどうかを判別することができなくなってしまうので、安心して行動できなくなり、場合によっては、何時どんなことで身柄を拘束されるか分からないという事態にすらなりかねないからである。 四、本件では、次項で述べるように、類推解釈の禁止が争点となっている。  したがって、本件は憲法訴訟なのである。  確かに、被告人の本件行為については、弁護人としても好ましい行為と考えているわけではない。  しかし、単に常識的に見て「悪いことだ」ということだけで安易に処罰してはならない。本来、そのようなケースを処罰の対象とするか否かは、立法府が法律を制定することにより決定すべき事柄である。実際のところ、逮捕・勾留され、起訴されて刑事裁判を受け、刑務所にて服役しなければならないということは、ひとりの人間の人生を一八〇度変えてしまう重大な事態であることを、我々法律家としては決して忘れてはならないのである。 五、刑法一七五条は、わいせつ「物」の「陳列」「頒布」などを刑罰の対象としている。  ここに「物」とは、たとえば民法では「有体物」(「無体物」と区別される)を指している。  刑法にいう「物」の範囲を考える際には、前述の「類推解釈の禁止」という厳格な「解釈の枠組み」を、ルールとして守らなければならない。  確かに刑法では、「物」とは「有体物」に限らず管理可能なものも含むと緩和して考える見解も有力である。  しかし、このように緩和して考える見解であっても、これまでは少なくとも「電子データ」は、一般に刑法にいう「物」には含まれないと一致して考えられてきた。  この考え方を前提として、ハードディスク(もしくはディスクアレイ)に記憶・蔵置されたわいせつ画像という「電子データ」について、わいせつ「物」というハードルをクリアしようとすれば、次の二つの方法が考えられる。 1、そのひとつは、「電子データ」自体が、わいせつ「物」に含まれると「解釈」する方法である。  しかし、これによると、前述のような従来の「解釈の枠組み」を踏み越えることになり、本当に前述の「類推解釈の禁止」という厳しい原則に違反する。  刑法は「電子データ」について、昭和六二年の改正において、わざわざ「電磁的記録」(その定義規定は七条の二)という別の概念を導入し、偽造罪その他について、電磁的記録を客体とする構成要件規定を付け加えた。にもかかわらず、刑法一七五条に明記されていない「電磁的記録」を、わいせつ「物」に勝手に含ませてしまうのは解釈の枠組みを明らかに越えている。  名古屋高等裁判所昭和四一年三月一〇日判決(判例時報四四三号五八頁)が「未現像のフィルムをもってしては公然陳列罪は成立する場合が考えられないことは、いうまでもない。」としていることとのバランスからしても、前記解釈には無理がある。 2、もうひとつの「解釈」は、原審のように、ハードディスクという「物」を、わいせつ「物」ととらえる方法である。確かに、ハードディスクであれば、誰でも「物」であることに疑問の余地を差し挟むことはないであろう。  しかし、この方法によれば、ハードディスクそのものが「陳列」されていても、ハードディスクは「外側が金属に覆われた機械」にすぎず、そのままで画像が見えるわけではないので、誰しも劣情をもよおす気持ちになる余地はない。  他方、本件では、わいせつ画像データを見ようとした場合、 (1) まずユーザーが自分のパソコンを起動する。 (2) 次にユーザーは自分のパソコンの通信ソフトを立ち上げる。 (3) ユーザーが被告人のパソコン通信サーバにモデムを介してアクセスする。 (4) ユーザーが画像データをダウンロードして配布を受け、自分のパソコンに保管する。 (5) ユーザーはいったん回線を切断する(作業中は繋いでいてもいいが、利用していない間も電話料金が加算されるので、通常は切断した上で閲覧する)。 (6) ユーザーが自分のパソコンの画像閲覧ソフトを立ち上げて、当該画像データファイルを読み込む。 といったユーザー側の一連の動作が不可欠となり、ダウンロードした画像データの内容は、閲覧ソフトを立ち上げるまで明らかにならないのである。  したがって、被告人が自己のパソコン通信のサーバコンピュータに組み込まれたハードディスクに画像データを蓄積すれば、すぐに会員はデータの閲覧が可能になるが如き原判決の解釈は、全く技術的な仕組みを知らない者の「絵空事」である。これが、いかなる理由で「閲覧」に該当するのか、原判決は何ら説明をしておらず、また到底説明できるものでもないのである。 六、以上の次第で、原判決の解釈は、「許されざる類推解釈」に該当するものと断じざるを得ず、したがって、罪刑法定主義を定めた憲法三一条及び三九条に違反する。  なぜ、このような処罰の間隙が生じたのかといえば、刑法は明治時代に作られており、電子ネットワークどころかパソコンすらなかった時代の産物だからである。  インターネットポルノが野放しで良いかどうかという議論もある。それはそのとおりである。しかし、それは本来、規制の是非や内容を含めて立法論として議論されるべき問題であって、「罪刑法定主義」という大原則、そして日本国憲法を無視して良いという理由にはならない。 第四 サイバーポルノにおける「公然陳列」の概念について 一、原判決は罪となるべき事実として、わいせつ画像のデータをホストコンピュータのハードディスク内に記憶させ、電話回線を使用して閲覧可能な状況を設定したことに加え、右わいせつ画像の情報にアクセスしてきた不特定多数の会員らに右データを「送信して再生閲覧させたこと」を摘示している。  前記横浜地裁川崎支部判決及び京都簡裁略式命令も同様の事実を摘示している。  これに対して、前記ベッコアメ事件判決及び札幌地裁判決は、「不特定多数の利用者にわいせつ画像が再生閲覧可能な状況を設定すること」を公然陳列ととらえる。特に、右札幌地裁判決は、「わいせつ図画公然陳列罪は、わいせつ画像を不特定又は多数の者が閲覧しうる状況におけばそれだけで成立するものであり、その意味においては、被告人がわいせつ画像データをパソコン通信のホストコンピュータのハードディスクに記憶させた時点で既に本件わいせつ図画公然陳列罪は成立」しており、実際に不特定または多数の者にわいせつ画像を閲覧させた場合は、そうでない場合に比べて、犯情がより悪質な場合に過ぎないと判示する。 二、確かに、前記第三の五の2でも述べたような、パソコン通信を利用してわいせつ画像を閲覧する場合の手順を見れば、当該ユーザーのパソコンで画像閲覧ソフトを立ち上げ、わいせつ画像のデータが再生閲覧された時点で、わいせつ物が陳列されたと解する原判決や前記横浜地裁川崎支部判決及び京都簡裁略式命令の構成の方が、より実情に即していると言えなくはない。  ユーザーにとって、わいせつ画像のデータが記憶蔵置されているホストコンピュータにアクセスした状態では、右コンピュータのハードディスクにわいせつ画像のデータが記憶蔵置されているか否かは、わからないのが通常である。アップロードされている画像データについては、「ABC12345.JPG」のようなファイル名、ファイルがアップロードされた日付と日時、ファイルがどのような種類のデータを扱ったものかに関するコメント等の一覧がディスプレイ上に表示されるだけである。コメントに当該ファイルがわいせつ画像のデータである旨が明記されていても、画像そのものは不可視であり、ファイルをダウンロードすることなくその内容を確認することはできない。  ユーザーがダウンロードしようとする画像データのファイル名「ABC12345.JPG」を指定して入力すると、ホストコンピュータに記憶蔵置されているデジタル化された画像データが、電話回線を通じてユーザーのコンピュータのハードディスクにコピーされ、右ハードディスク上にホストコンピュータに記憶蔵置されているのと全く同一の「ABC12345.JPG」ファイルが生成される。ユーザーは、ホストコンピュータとの接続を切った後、自分のパソコンのハードディスク内の「ABC12345.JPG」ファイルを表示用のプログラム上で実行して、ようやくわいせつ画像を閲覧することができるという手順を踏まなければならないからである。  なお、インターネットの場合は、専用のブラウザ(閲覧用ソフト)を用いるので、画像データのファイル名の指定、画像ファイルのダウンロードと表示の過程が自動化されており、このプロセスを意識することはない。しかし、ホストコンピュータにアップロードされた画像ファイル自体は不可視であり、ユーザーのコンピュータにダウンロードされた画像ファイルを再生閲覧していることに変わりはない。 三、不可視な物が公然陳列の対象とならないことは、前記名古屋高裁判決が、「未現像の映画フィルムも刑法一七五条の意図する目的に照らし、同条所定の頒布罪、販売罪、販売目的所持罪における、わいせつ図画に当たるものと解するのを相当とする(未現像のフィルムをもってしては公然陳列罪は成立する場合が考えられないことは、いうまでもない)。」と判示するとおりであって、未現像の映画フィルムとホストコンピュータにアップロードされた状態のわいせつ画像のデータとの間で、異なった解釈をすべき必要はない。  したがって、右アップロードの段階ではわいせつ物を公然陳列したとは言うことはできず、右わいせつ画像のデータをユーザーがダウンロードして再生閲覧した時に公然陳列がなされたとする原判決の構成は、一見、右判例とも適合的と言えなくない(このような解釈を取る見解として、堀内捷三「インターネットとポルノグラフィー」「研修」第五八八号六頁がある)。 四、しかし、従来、わいせつ物公然陳列罪は抽象的危険犯と解されており、前記札幌地裁判決が指摘するように、わいせつ物を観覧可能な状態におけば直ちに成立するとされてきた。  前記ダイヤルQ2事件判決も、「このように、誰でも、いつでも、どこからでも、所定の電話番号のところに電話をかけることによって、本件録音再生機に記憶された録音内容を聞くことができる状態にしたのであるから、不特定、多数の人に本件録音内容を聴取できる状態にしたというべきである。」と判示しており、わいせつ物であるデジタル録音再生機を電話回線に接続した時点で、直ちにわいせつ物公然陳列罪が成立するものと解していると思われる。  これに対して、原判決は「再生閲覧させたこと」、すなわち、わいせつ画像のデータがユーザーのパソコンに到達し、ユーザーによって了知されたことまでを公然陳列の実行行為の一部としてとらえている。これは、わいせつ物公然陳列罪を、他者の行為が介在する一種の結果犯として構成しているものと思われ、同一の構成要件の中にこれまでとは異質な行為の類型を持ち込もうとするものに他ならない。 五、わいせつな情報の頒布・販売? 1、これまで述べてきたところを再言すれば、伝統的な判例の立場からは、わいせつ物を観覧可能な状態に置けば、直ちにわいせつ物陳列罪が成立する。しかし、わいせつ画像データはそれ自体不可視であることから、わいせつ画像のデータが記憶蔵置されたハードディスクが内蔵されているホストコンピュータを電話回線に接続しただけでは、「陳列」行為がなされたとはいえない。だからといって、わいせつ画像のデータがユーザーのパソコンにダウンロードされた状態を公然陳列と見なせば、これまた、わいせつ物陳列罪を抽象的危険犯と解する伝統的な解釈と矛盾を来す。 2、結局のところ、再生閲覧までを含めたユーザーのパソコンへの到達段階において陳列行為がなされたと見る見解は、サイバー・ポルノの実態が「データの頒布・販売」であるものを、「陳列」と理解しているのである(園田寿「わいせつの電子的存在について」関西大学法学論集四七巻四号)。  パソコンネットからダウンロードしたわいせつ画像のデータは、ユーザーのコンピュータのハードディスクに記憶蔵置されており、ファイルを削除しない限り、何度でも再生閲覧が可能かつ複製も可能である。この状態は、わいせつ画像のデータが記録されたフロッピーディスク(FD)やCD−ROMを入手し、保持している状態と何ら変わらない。  保護法益の観点から言っても、特定のホストコンピュータにアクセスしてわいせつ画像のデータをダウンロードするのと、コンピュータネットワークを利用してわいせつ画像が記録されたCD−ROMの目録だけを閲覧させ、画像データが記録されているCD−ROMを通信販売するのとでは、社会の善良な性風俗・性秩序を侵害する結果において変わらない。 3、ところが、刑法一七五条の構成要件のうち「頒布・販売」については、その客体を有体物に限るというのが、伝統的な解釈であった。  ビデオテープに関する判例を挙げれば、ビデオ店の店主が自分の所有するわいせつビデオの内容を、有償で顧客が持参したビデオテープにダビングした行為がわいせつ物販売罪に問われた大阪地裁堺支部昭和五四年六月二二日判決(判例時報九七〇号一七三頁)では、民法上の加工請負契約を援用して、顧客の提供したビデオテープが一旦店主の所有に帰し、再度、顧客に有償譲渡されたものと構成することができると判示している。  また、オリジナルのわいせつビデオテープ自体は販売する意図がなく、ダビングした複製を販売する意図であった場合に、オリジナルのわいせつビデオテープについて販売目的所持罪を認めた富山地裁平成二年四月一三日判決(判例時報一四三四号一六〇頁)は、刑法一七五条後段の「販売の目的」には、ダビングしたビデオを販売するような「間接的な(二次的な)」販売の目的を含むと判示している。  これら二つの事例では、オリジナルのわいせつビデオテープそのものは被告人の占有下に留まっているが、「わいせつな情報」の移転に着目して、ビデオテープに記録された「わいせつな情報」を複製して第三者に販売したこと、または複製して販売する目的で保持したことが刑法一七五条の構成要件に該当するとの法律構成ができないわけではない。しかし判例は、わいせつな情報が記録された有体物としてのビデオテープの移転に着目して構成要件該当性を論じ、有体物に依存しないわいせつな情報の移転という構成を取ってはいないのである。 4、これをコンピュータネットワークとデジタルデータの世界に当てはめるとどうなるか。  右富山地裁判決の趣旨からは、複製を作成して販売する目的で、わいせつ画像のデータが記録されたFDやCD−ROMを所持する行為が、わいせつ物の販売目的所持に該当することは疑いがない。では、ハードディスクにわいせつ画像のデータを記憶蔵置し、第三者の求めに応じてFD、光磁気ディスク(MO)ないしはCD−ROMにデータを複製したものを販売していた場合、ハードディスクを所持していることについて販売目的所持が成立するであろうか。  この点を肯定した裁判例として、神戸地裁平成九年三月二五日判決(公刊物未登載)がある。しかし、ビデオテープの事例では、「間接的な販売目的所持」が成立する客体と実際に販売される客体とが、いずれも有体物の性状としては同一のビデオテープであるのに対して、右判決の事例では、間接的な販売目的所持が成立する客体はハードディスク、実際に販売されるのはFD、MOないしはCD−ROMであることに違和感を覚えざるを得ない。また、右判決の射程距離も、行為形態が右同様にわいせつ画像のデータをハードディスクに記憶蔵置させ所持している場合であっても、その目的が異なり、わいせつ画像データをコンピュータネットワークにアップロードし、ユーザーから対価を得てダウンロードさせる目的である場合について、間接的な販売目的所持を認めるところまでは及ばないと解される。 5、デジタルデータの大きな特徴は、データが記録されている媒体を変換したり、複製を作成することが極めて容易なことである。コンピュータネットワークを通じたファイルのダウンロードと、情報記録媒体(FD、ZIP、CD、MOなど)からの特定のファイルのコピーは、技術的な意味において価値的な相異はない。これらについて、統一的な刑法的評価を与えようと思えば、先に述べた「データの頒布・販売」という概念を導入せざるを得ない。  しかし、かかる概念は、現行刑法典が全く予定していなかったものであり、有体物を中心とした体系を大きく逸脱するものにならざるを得ない。 第五 わいせつ画像データが存在するホストコンピュータの管理者の責任 一、本件において、被告人が管理運営するホストコンピュータのハードディスクに記憶されていたわいせつ画像のデータのうち、七〇〇画像分程度は被告人自らが記憶させたものであったが、その余は会員らが電話回線を使用して、わいせつ画像のデータを送信したものであった。  しかし、原判決は以下のとおり述べて、記憶蔵置されていた約四一三二画像分全てについて、被告人にわいせつ物公然陳列罪の成立を認めた。  「前掲関係証拠(略)によると、次の事項が認められる。 1 被告人は、本件パソコンネットを開設運営し、ホストコンピュータを所有管理していた。 2 右のような地位にあった被告人は、わいせつ画像を見せて、会員を増やせば金儲けになるとの考えから、会員がわいせつ画像のデータをハードディスクにアップロードするのを単に黙認していたというのではなく、自ら電子掲示板で会員に対し、わいせつ画像をアップロードするよう奨励するとともに、わいせつ画像のデータを三〇画像分アップロードした会員には二ヶ月分の会費を免除し、多数あるわいせつ画像データを会員がアクセスしやすいように分類するなどしていた。 3 被告人は、会員がアップロードした画像データの内容のすべてを確認したわけではないとしても、画像データのおよその数を把握していたばかりでなく、その内容がわいせつ画像データであろうとの認識を有していた。  右のような事実によると、会員がアップロードした画像データの分についても、被告人が正犯として刑責を負うのは明らかである。」 二、原判決は右のとおり、パソコンネットを開設・運営する被告人自身がアップロードしたわいせつ画像のデータと、会員がアップロードしたデータを区別することなく、いずれの類型についても、管理者(シスオペ)である被告人にわいせつ物公然陳列罪が成立するとし、その根拠として、被告人によるホストコンピュータの所有管理、会員に対するわいせつ画像データのアップロードの推奨、及びアップロードされた画像ファイルがわいせつ画像であろうことの認識を指摘する。  しかし、作成者も異なり、作成時期も異なり、作成内容も異なる、天文学的な情報量が記憶蔵置されている「巨大な図書館」になぞらえることもできるハードディスクについて、有体物としてのハードディスクやホストコンピュータを所有管理していることが、その内部に記憶蔵置されている全ての情報について、その内容を認識し、管理していることにならないのは自明のことと思われる。被告人が行った行為はせいぜい、「巨大な図書館(ないしは画廊)」の空間を第三者に開放しただけのことである。  第三者が陳列したわいせつ画像が、なにゆえ被告人自身が陳列したものと同視されうるのかについて、原判決が指摘する有体物としてのハードディスクやホストコンピュータの所有管理というだけでは、充分に説得的とはいえない。 三、原判決の右判示は、被告人がわいせつ画像の存在を知りながら削除しなかったという不作為を念頭に置くものと思われるが、右不作為を被告人自身のアップロード(作為)と同視するための作為義務の根拠については触れられていない。  恐らく、被告人がホストコンピュータの管理者として、わいせつ画像のデータを逐次閲覧し、削除できる権限と能力を有するということを念頭に置くのであろうが、全てのユーザーがアップロードしたデータの内容を逐一チェックするのは全く不可能に近い。  また、原判決が指摘する、被告人によるわいせつ画像データの整理分類も、個々のデータの内容を把握し、どのデータを提供し、どのデータを提供しないかを取捨選択していたのでは決してなく、ユーザーが、アップロードされているデータに対して効率的にアクセスできるよう、ハードディスク上のファイル管理という技術的なレベルでの管理に過ぎない。  したがって、このような技術的なレベルでの管理を根拠に、パソコン通信の管理者を、ユーザーがアップロードした情報内容全般について責任を負う「情報の番人」として位置付け、作為義務を認めるべきではない(同趣旨、園田寿「サイバーポルノと刑法」前掲八頁、園田寿「コンピュータネットワークとわいせつ罪」ジュリスト増刊「変革期のメディア」一七二頁)。 四、また、そもそもパソコン通信の管理者が右ネットにアップロードされた情報を削除できるか否かは、電気通信事業法との関連では消極に解されなければならない。  同法は、通信の円滑な提供を確保することを目的とし(一条)、「電気通信事業者の取扱中にかかる通信は、検閲してはならない。」(三条)と定める。また、同法四条では「(1)電気通信事業者の取扱中に係る通信の秘密は、侵してはならない。(2)電気通信事業に従事する者は、在職中電気通信事業者の取扱中に係る通信に関して知り得た他人の秘密を守らなければならない。その職を退いた後においても、同様とする。」として、通信の秘密を保障している。「電気通信事業者の取扱中に係る通信」とは、コンピュータ・ネットワークに入力された時点から各ユーザーがダウンロードする直前のネットワーク管理者の管理下にある状態の情報をいうと解されるから、たとえ、わいせつ情報であっても本条によって検閲が禁止される情報であると思われる(以上、園田意見書三五頁)。 第六 他の法律による規制可能性 −むすびに代えて− 一、警察庁は、インターネット上のポルノなど有害な情報の発信が野放しになっているとして、一八歳未満に対する「有害映像」の提供を禁止し、プロバイダに努力義務を課することを主眼とした風俗営業等適正化法(風営法)の改正案を発表し、右改正案は、平成一〇年四月三〇日の衆院本会議で可決された。 二、右改正案の「風俗営業」の用語の意義に関する規定(二条)では、 7 「無店舗型性風俗特殊営業」とは、次の各号のいずれかに該当する営業をいう。 二 電話その他の国家公安委員会規則で定める方法による客の依頼を受けて、専ら、前項第五号の政令で定める物品(「性的好奇心をそそる写真、ビデオテープその他の物品で政令で定めるもの」)を販売し、又は貸し付ける営業で、当該物品を配達し、又は配達させることにより営むもの 8 「映像送信型性風俗特殊営業」とは、専ら、性的好奇心をそそるため性的な行為を表す場面又は衣服を脱いだ人の姿態等の映像を見せる営業で、電気通信設備を用いてその客に当該映像を伝達すること(放送又は有線放送に該当するものを除く。)により営むものをいう。として、「店舗型性風俗特殊営業」(同条六項各号)以外の分類を二つに分けている点が注目される。  すなわち、「無店舗型性風俗特殊営業」(同条七項二号)でその対象となっているのは、「ビデオテープその他の物品」というように明確に有体物であることを前提にしており、これに対して、「映像送信型性風俗特殊営業」(同条八項)については、「電気通信設備を用いてその客に当該映像を伝達すること(放送又は有線放送に該当するものを除く)」をその対象とするものとしており、しかも放送による映像の伝達との区別も明らかにしている点で、あくまでもパソコン通信やインターネットによる画像の伝達の特殊性に配慮した改正となっているのである。 三、このような改正が図られること自体、パソコン通信やインターネットの特殊性に配慮した立法的な対応が必要であることを物語っているのである。  仮に、パソコン通信上あるいはインターネット上のわいせつ画像を規制するべきであるとしても、それは立法により対応すべき事項である。  本件控訴事件において、貴裁判所が、コンピュータネットワークの特質を意識した先例的な判決をなされんことを、強く希求するものである。 以  上

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